板橋の喜多八は、
昔からもつ焼きの名店として知られていました。
特に有名だったのが、
あの大ぶりの「大串もつ焼き」です。
喜多八 創業と歴史
板橋駅近くの路地裏。
昭和39年(1964年)に創業した「喜多八」は、
地元の人たちに長年愛された名店でした。
赤提灯。
煙。
焼き場の熱気。
まさに昭和の酒場そのもの。
仕事帰りの常連さんたちが、
一日の疲れを置いていく場所でもありました。
加賀屋との関係
東京中に広がる大衆酒場「加賀屋」の創業者(能登出身)を東京へ呼び寄せたのが、
この喜多八の先代(創業者)であると言われています。
板橋が「加賀屋の聖地」と呼ばれる背景には、
この喜多八創業者の存在があります。
もつ焼き好きの間では有名ですが、
つまり、板橋は加賀屋文化の原点のひとつ。
今では都内各地にある大衆酒場文化の流れに、
喜多八の存在が大きく関わっていたとも言われています。
酒場好きの人ほど、
この話にロマンを感じるのではないでしょうか。
丁寧に下処理されたモツ。
継ぎ足し続けた秘伝のタレ。
特に、
・ガツ刺し
・コブクロ刺し
・大串のもつ焼き
このあたりは、多くの常連に愛されていました。
豪快なのに、仕事は繊細。
そこが職人の世界でした。
創業者の現場主義
喜多八の創業者は、
晩年まで焼き場に立っていたと言われています。
若いスタッフを育てながら、
常連さんとも自然に会話をする。
厳しさの中に、どこか温かさがある。
昔の職人さんって、
そういう人が多かった気がします。
背中で教える。
でも、ちゃんと人情もある。
だから長く愛されたんでしょうね。
板橋本店は、土地開発のため
2021年2月に閉店しました。
50年以上続いた店の灯りが消えた日は、
寂しく感じた人も多かったと思います。
ただ、西日暮里店が今もその味と空気を受け継いでいます。
店は閉じても、
文化や記憶は残る。
それもまた、名店なんだと思います。
まとめ
「喜多八」は、
・板橋の名物酒場だった
・東京のもつ焼き文化に影響を与えた
・加賀屋との深い縁があった
・創業者の職人気質と人情が愛された
・今も西日暮里に魂が受け継がれている
そんな、昭和の酒場文化を象徴する存在でした。
おわりに


オイラは思いました〜。
実は幼稚園の頃から、親父に串に刺したステーキ(笑)
喰いに行くぞと通ってました。
創業者の大将には自宅も近く、オイ坊主と呼ばれていました。
その当時は何も考えていなかったですが、
煙の匂いと、人の温度が残る店って、やっぱり特別です。
生き方まで置いてあった気がします。
一本筋が通っていて、
でも人には優しい。
そんな大人に、少し憧れます。って親父だよ。
本日の川柳
もつ焼きの タレで人生 語りだす