小さい頃から通っていたパン屋さんがあります。
「マルジュー」仲宿店。
今でも名前を聞くと、昔食べていたパンの味を思い出します。
特別な日に買うパンではありません。
普段のおやつ。
学校帰りだったのか。
親と一緒だったのか。
そこまでは、もうはっきり覚えていません。
でも、食べていたパンは覚えている。
これって、けっこう不思議です。
マルジューといえば、このパン
当時よく食べていたのが、
メロンパン。
3色パン。
そして、カレーパン。
このあたりは、かなり記憶に残っています。
今みたいにパン屋さんを食べ歩くこともありません。
「今日はどのパンにしよう?」
なんて悩むほど種類を知っていたわけでもない。
目の前にあるパンから、
「これ食べたい!」
だったんでしょうね。
子どもの頃なんて、そんなものです。
味より先に思い出すもの
大人になってから食べるパンは、
味や食感を細かく感じます。
でも、子どもの頃のパンは少し違う。
パンそのものより、
その頃の生活まで一緒に思い出します。
店の雰囲気。
パンが並んでいる感じ。
買ってもらったときの嬉しさ。
そして、家に帰るまで待ちきれない感じ。
記憶というのは、 味だけを保存しているわけじゃないんですね。
これがソウルフードなのか?
「ソウルフード」という言葉があります。
一般的には、その土地や文化、家庭などに根づいた食べ物を指すことが多いようです。
そう考えると、
自分にとってのソウルフードは何だろう?
ふと考えてしまいます。
豪華な料理じゃない。
高級な食材でもない。
子どもの頃に、
何度も食べたもの。
そういうものが、自分だけのソウルフードになっているのかもしれません。
マルジューのメロンパン。
3色パン。
カレーパン。
今でも名前を聞くだけで、
「ああ、食べてたなぁ」
となる。
だったら、これも自分にとってのソウルフード。
そう呼んでもいいんじゃないでしょうか。
まとめ
ソウルフードというと、
何か特別な料理を想像していました。
でも、自分の記憶をたどってみると、
案外身近なところにありました。
子どもの頃によく食べたパン。
いつもの店。
いつもの味。
そういう「いつもの積み重ね」が、
あとになって大切な記憶になる。
食べ物って、腹を満たすだけじゃないんですね。
おわりに
オイラは思いました~。
昔食べていたものを思い出すと、
その頃の自分まで、ちょっとだけ戻ってくる。
マルジューのパンを食べていた小さな自分。
今の自分から見ると、
ずいぶん遠くまで来たもんです。
でも、
メロンパンを食べていた記憶は、
ちゃんと残っている。
そう考えると、
ソウルフードって、
「人生で何度も食べた料理」じゃなくて、
「人生のどこかに残っている味」
なのかもしれないなぁ。
本日の川柳
三色パン 三つの味でも 胃は一つ