最近ふと、「ヤバい」という言葉に違和感を覚えました。
SNSでも、日常の会話でも、あらゆる場面で飛び交うこの言葉。
「このケーキ、ヤバいくらい美味しい!」
「あの人、マジでヤバいよね」
「うわ、ヤバ。提出忘れてた」
便利だし、ノリもいいし、感情を瞬時に伝えられる。
……でも、なんか伝わってるようで伝わってない気がするんです。
「ヤバい」は伝わらない?
「ヤバい」は、良くも悪くも意味が広すぎる言葉。
例えば、「この映画ヤバいよ」って言われても、
感動なのか、衝撃なのか、つまらないのか受け手には曖昧です。
その場の空気や関係性を読み取れないと、
誤解を招いたり、雑に受け取られたりするリスクもあるんですよね。
語彙力は、思いやりのスキル
語彙力って、ただ単語をたくさん知ってることじゃありません。
ほんとうの意味は、
自分の気持ちを適切な言葉で表現し、
相手にわかりやすく、誤解なく伝えられる力。
つまり、伝える力であり、思いやりでもあるんです。
言い換えるだけで、伝わり方が変わる
たとえば「ヤバい」を、こんなふうに変えてみるとどうでしょう?
「衝撃的な美味しさだった」
「一言でいうと、考えさせられる映画」
「ピンチだけど、まだ間に合いそう」
そう、具体的に言葉を選ぶことで、相手にちゃんと届くようになるんです。
語彙力は聞く力にもつながる
さらに言えば、語彙力は「聞く力」にも影響します。
誰かが「つらい」と言ったとき、
マジでヤバいじゃん、だけじゃ、どこまで共感できているかは伝わりにくい。
でも、
それって、誰にも言えなくてしんどかったんじゃない?
自分を責める気持ちになったのかもね
と返せたら、言葉の裏にある感情まで汲み取ってくれる人として信頼されます。
語彙力は、人間関係のセンス
言葉って、相手との距離を近づける「橋」のようなもの。
そしてその橋をどう架けるかのセンスこそが、語彙力なんだと思います。
相手を不快にさせず、
自分の感情もきちんと届けられて、
対話のキャッチボールがスムーズにできる。
そのためには、「ヤバい」で終わらせず、
ひとつひとつの言葉を丁寧に扱う感覚が大切なんですよね。
まとめ
「語彙力」は、心を翻訳するチカラ
便利な言葉ほど、使い方には注意が必要。
そして語彙力は、「ただの言葉の知識」ではなく――
「相手と関係を築くためのセンス」
「気持ちを届けるための選択眼」
そう思うようになりました。
おわりに
今日もひとつ、ヤバくない言葉を探してみる。 そんな小さな心がけが、人間関係をぐっとあたたかくするかもしれません。
タイパ重視の風潮について、効率的な受信を求めるのは自然な流れとも言えるけど
クリエイターの視点からすると、違和感があるかもしれません。